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2010.01.10 (Sun)

謹賀新年!

少々遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます!!
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この“コンフォート・ウインドアンサンブル情報館”も皆様のご声援のおかげで1周年を迎えることが出来ました

今後もCWEの近況をブログという形でご紹介すると共に、皆様にコンフォートな(心地よい)音楽をお届けできるように日々精進します

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2009.09.07 (Mon)

お詫び

昨日、本当は練習風景などを撮影して更新しようと思ったのですが…

管理人ボビーは体調不良でお休みしてました(>_<)

なので更新はまた後日とさせていただきます
更新を楽しみにしているブロガーの皆様(←そんな人いるのか??)本当に申し訳ありませんでしたボビーは体調が回復してます巷で流行しているインフルエンザではなかったのが不幸中の幸いでした

では次回をお楽しみに

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2009.07.26 (Sun)

CWEの歴史 その3

転換期 ― そして、挑戦

「コンフォート・ウインドアンサンブル」として初めての演奏会を1997年2月に八幡市民会館で「第1回定期演奏会」として行ないました

しかし、まだ名前も知られてなく、集客方法もままならなかったため、観客数は約200名でした

この演奏会では、当時としては珍しくレンタル譜を使用して演奏をしていましたただ、これに関してはメンバーと吉原さんとの間で衝突があったようですお金を使って楽譜を借りてまでして演奏する必要があるのか改名と同時期に団長という立場に立つことになっていた藤河さんは、この両者の間で板ばさみになりながらの毎日であったらしいです

しかし、この頃がCWEの転換期でもあったのです

ただ何となくみんなで話し合いながらバンド運営していくのではなく、一つのレールを決めようその方針をもとに、みんなで役割分担して動いていこう

こうして、CWEはバンド運営にも改善を加えながら活動を進めることになりました

1999年6月には初めて賛助出演なしのオリジナルメンバーだけで演奏会を行ないました

その後も常に新しいことに挑戦をしながら、毎年定期的に演奏会は行われていきました

2000年5月には中間市の4つの中学校と合同演奏をする演奏会を行ったり、「冬の曲をしたいね…」ということでその7ヵ月後には単独のクリスマスコンサートを開いたり、2001年に行われた北九州博覧祭で演奏をしたり…

また、2002年に出会った天野正道さんの作品はCWEの音楽の方向性を示す鍵として大きな影響を与え、クラリネット四重奏はアンサンブルコンテストで初の全国大会進出を果たしました

さらに、2004年にはコンクールの課題曲のうち当日の観客の抽選によって演奏曲を決めるという内容をプログラムに組み込んだり、北九州で活躍する劇団C4と出会い、演奏を朗読つきで行ったり、2005年には北九州芸術劇場にデビューしたり、2006年には和太鼓との競演を果たしたり…

ひらめいたらそれを実行してしまう…それがCWE!

確かに新しい挑戦にはいろんな困難がついてきますが、大変だけど、良い音楽ができるならお客さんが喜んでくれる演奏会ができるなら毎年同じことをくり返してもつまらない何か新しいことをひらめいて、それを実現させるために向かっていくパワーがCWEの音楽の源

吉原さんは言う…

「メンバーがついてきてくれるから」

と…


最後に…

「たとえメンバーが仕事や結婚でCWEをやめても、いつかそのメンバーが戻ってこれるバンドを作ろう」

だから基礎練習のやり方も変えない

練習拠点も遠賀から移さない

たとえ、年を重ねてもここに戻ってきてほしい

子どもが生まれたら、その子どもたちにもメンバーになってほしい

だからこそ、ずっと続けていけるバンドでいたい

そのために、常に向上心を持って活動を続けていきたい

今の目標は…

「全国大会に行くこと 全国的に認められるバンドになっていきたい」

もっと上手になれるはず

天井なんてない

熱い想いを持った吉原さんと、そんな彼を支えていく藤河さん…

「お前がやめたら俺もやめる」

そんな2人がこのCWEを支え、これからも引っ張っていってくれるんです

CWEに限界はない!


(完)

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2009.07.19 (Sun)

CWEの歴史 その2

「北九州ウインドアンサンブル」から「コンフォート・ウインドアンサンブル」になるまで

吉原さんが指揮者として、新たにスタートしたとき、バンドのオリジナルメンバーは約5名しかいませんでした

しかし、再スタートしてから約5ヵ月後の1991年5月、CWEは初めての単独演奏会「SPRING WIND CONCERT」を行ないます「ウインドはつぶれていない!」とアピールする演奏会となりました

ちなみに、この演奏会のビデオには当時高校2年生だった現団長の藤河さんが映っていますこの頃に藤河さんは吉原さんと出会い、ウインドの活動にも顔を出すようになっていたらしいです

この「SPRING WIND CONCERT」は1995年の第5回まで、毎年春に行われましたただ、年々人数は増えてましたが、毎回賛助出演者を他団体から呼んで演奏会メンバーを確保していました

少人数で続けていたウインドであったが、ここでアトラクティブ・サウンズ・フェロー(以後アトラク)というバンドに出会います

1991年10月に行われたブラスフェスタという合同演奏会に、アトラクとの合同演奏という形で参加を果たしたウインドは、その練習方法や音楽の作り方に大きな影響を受けます北九州ウインドアンサンブルが結成された当初の考え、「基礎からしっかり練習していこう」が体現されていたのが、アトラクの練習でしたたった1小節、たった1音へのこだわりを見せる指揮者やメンバーの姿…アトラクから学んだことはウインドにとって大きな財産となったのです

これ以降、藤河さんも高校を卒業し、トランペット奏者としてウインドに入団(今は弦バス奏者ですがね

1993年辺りでは現在もCWEの中心として活躍し、CWEを支え続けているメンバーたちが多く入団してきました

そして、1993年7月、初めて参加した吹奏楽コンクールでウインドはBパート(自由曲のみで争われる大会で、北九州独自の大会)で金賞を受賞する何とクラリネットパートなしでの快挙でした

しかし、翌年1994年に行われたコンクールでは、Aパート(課題曲と自由曲で争われる大会で、全国大会まである)で参加し、残念ながら銅賞という結果に終わってしまったのです(でも、それから11年後の2005年、同じ会場で行われたコンクールでCWEは見事金賞を受賞し、CWE史上初の九州大会進出を果たしました

そして、1996年、メンバーの数も約30人に増え、もっと活動の幅を広げていきたいと思うようになりましたが、なかなかうまくいかないウインド…

そこでウインドは改名を決意したのです

「北九州」という名前がついているから、地域が限定されて広まっていかないのではないか

新しいバンド名はメンバーの中から募集しました

そんな中にあったのが、メンバーの一人が小さな紙切れに書いた…

「コンフォート・ウインドアンサンブル」

新しい名前が決まった瞬間でした

(ちなみに、最初は「コンフォート・ウインド・アンサンブル」と3つに区切られていましたが、字画が悪いということで今の形になったらしいです実際、今の形にしてから、良いことがたくさんあったということです名前って重要なんですね~

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2009.07.12 (Sun)

CWEの歴史 その1

CWEの誕生

もともとCWEは「コンフォート・ウインドアンサンブル」ではなかったことを、皆さんご存知でしたか最初のバンド名は実は「北九州ウインドアンサンブル」(以後「ウインド」)だったんです

1988年3月20日、ただ何となく合奏をして楽しむだけではない、きちんと基礎から練習をして、きちんと音楽作りをしていくバンドを作っていこうと結成されたのが、このバンドでした結成当初のメンバーの数は23名決して多くはない人数ではありましたが、ここからCWEの歴史は始まりました

「上手くなったらデビューしよう」ということで、演奏会など外での演奏は行わず、毎週日曜日18時~21時、遠賀コミュニティセンターに集まり、練習を重ねていきました

結成1周年を記念して行われたのは、演奏会ではなく、写真撮影

年表を見ても、この当時の活動記録には「遠足」や「バスハイク」などのレクリエーション行事が並んでいます練習をしつつ、親睦を深める毎日でした

しかし、なかなか演奏レベルも上がらず、人数も増えなかったウインドは、結成から約3年後の1990年
暮れに解散の危機に直面しました

「どうしようか…」
「もうやめてしまおうか…」

そんな時に「俺がする!」と宣言したのが、現指揮者の吉原さんでした

それまでトランペット奏者としてバンド活動をしてきた吉原さんは、ここから指揮者としてバンドを引っ張ることになったのです

こうして、解散の危機は去り、新たな歴史が始まるのでした…

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